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はじめまして、イタマツシオネと申します。 

みなさま、はじめまして。
板松 汐音(イタマツ シオネ)です。

大学を4年間神奈川で過ごし、新宿でバイトもしていましたが、それでも、ずっと鹿児島弁が取れませんでした。
そんなわたしがhataoriの一員になるまでのお話です。

=わたしの経歴=

生まれも育ちも鹿児島県鹿児島市。
大学に進学するまで、鹿児島から出たことがありませんでした。

漠然とわたしはずっと鹿児島で過ごしていくんだろうなと思っていた高校時代。
受験を目前に控えたとき、学びたい分野が鹿児島の大学にないことに気づき、大学進学を機に上京しました。

どうせ地元を離れるなら憧れの街にと思い選んだ大学は、鹿児島市より田舎にありました。笑

=大学時代に取り組んだこと=

大学では、学びたかった国際経営学を学びながら部活にバイトと充実した生活を送っていました。
ちなみに、部活は軽音楽部です。ギターを弾きながら歌っていました。

このまま4年間あっという間だろうな〜と思いながら、就職という言葉もよぎり始めた大学2年生の終わり頃。

コロナウイルスにより大学も部活もバイトも、当たり前だったことはなにもできなくなりました。

4月になっても大学は始まらず、なんのために上京してきたのか分からなくなってきた頃。ゼミの先生からの紹介で、NPOインターンシップというものを知りました。
その中にあった音楽を通してまちづくりを行なっている横浜のNPO「アークシップ」に惹かれ、長期インターンに参加しました。

アークシップの自主イベント「ホッチポッチ」にてインターン同期と

たぶん、わたしの転機はここです。

もともと、イベントに関わる仕事がしたかったこともあり、インターンの活動が楽しくて、、、

インターン期間が終わってからも事務局アルバイトとしてアークシップに残ることになり、引き続き音楽イベントの運営に携わる傍ら、新しいことにも挑戦させていただきました。

年齢、性別、障害の有無などに関係なく誰もが集える場を目指したゴミ拾いイベントにて
音楽イベントの裏側

そんなアークシップでの活動の中で、
“やっぱり、イベントに関わっていきたい”
という思いが明確になりました。

しかしながら、イベント業界となると地方は難しいだろうなぁ、、、
必然的に就職は首都圏かな〜と思ったりしていた頃。

そんなわたしはhataoriと出会いました。

=hataoriとの出会い=

大学に入学したときは、首都圏で就職してノウハウを学んだらいずれ鹿児島に帰ろうと思っていました。

でも、コロナ禍で“東京でしか学べないことってなんだろう。これだけオンラインでのやりとりが主流になってきた今、勉強を理由に首都圏にこだわることはないんじゃないか”と、考えたりしました。

他に首都圏に残りたい理由も特に見当たず。

改めて、自分にとっての「働く」を考えてみました。

それで、鹿児島に帰ろう!と決めたんです。

決め手はですね、ご飯なんですよ。

“ほんとにそれだけ?!”って思われるかもしれないんですけど、ほんとに決め手はそれで。笑

神奈川にいる間もどうしても関東の味に慣れなくて、、、醤油とか味噌とか、ずっと鹿児島のおばあちゃんに送ってもらってました。

「働く」ってどんな形になったとしても、絶対大変じゃないですか??
同じ大変なら好きな味が食べられる土地で大変を乗り越えていきたいなと思って、鹿児島に戻ることを決めました。

鹿児島に帰ると必ずラーメンを食べに行きます🍜

それからはですね、『鹿児島×イベント』というキーワードで就職先を探すんですけど、、、首都圏にいながら地元に就職活動することがこんなに大変だと思ってなかったです。

周りはどんどん就職先を決めていく中、なかなかここだ!と思う企業に出会うことができませんでした。

“今のやり方じゃダメだ”

そう思ったわたしは、大手就活サイトを利用することをやめました。

代わりに始めたのが、鹿児島・九州と名のつくイベントに片っぱしから参加すること。幸いなことに、この時期オンラインイベントがたくさんあったのです。

参加したイベントでは、
「鹿児島で働きたいんですけどなかなかで〜」
って言いまくってました。

内定者研修(?)での1枚📷

そんなことを続けていたある時。
参加したイベントで、
「そういうことなら、たかはしくうがさん紹介しますよ!」と言われたのが、くうがさんとの出会いです。

くうがさんと出会って、すぐ「じゃあhataoriに。」ってなったわけでもなく。

くうがさんに「こういう働き方をしたい」「こんな理由で鹿児島で働きたい」っていうのを伝えて、いくつか鹿児島の企業を紹介してもらったんです。

で、その企業とも実際にお話をしたりして。

でも、くうがさんに話聞いてもらっている中で、
「あれ、わたしのやりたいことhataori じゃん!」
ってなって。笑

「hataoriで雇ってくれませんか?」
と、アプローチをしたわけです。笑

=これからやっていきたいこと=

hataoriでわたしがやっていきたいことは、「やっぱりイベントっていいなぁ〜」と思い続けることです。
やっていきたいというか、大事にしていきたいことですね。笑

イベントって非日常体験だと思っていて。

その非日常の中で、初めましての人と出会ったり、普段しないことをしてみたり。
そういったいつもと違う体験の中で、参加した人の表情が見られることがわたしにとってとてもやりがいで。

なので、これからhataoriのイベントに参加してくださる方たちと会えるのがすごく楽しみです。

hataoriとして初めて参加した「#わたしはわたし」

それとわたし、就活を通じていくつか気づいたことがあって。

“首都圏にいながらの地元への就活がこんなに難しいなんて”
というのはもちろん、
地元に帰りたいと思う人が意外と多いこと
地元に帰りたいけど、仕事がないから帰らないという決断をする人がいること。

就職活動にはとても課題が多い。
そこには、地方における情報格差の課題があると思っていて。

わたしが働いていく中で、この情報格差という課題を考えていきたいです。
そのためにわたしはなにができるかは、これからhataoriで探っていきます。

あ、あと、個人的にはまちなかのマルシェイベントの運営とかしたい。笑

=さいごに=

わたし、人生めっちゃツイてるなーと日々思うことがあって。

hataoriとの出会いも、運が良かった。笑

そして、コロナがなければ、たぶん、まだ鹿児島に帰ってこなかったと思います。

このタイミングで鹿児島に帰るって決断をしなければ、hataoriとの出会いもなかったかもしれない、、、

これもなにかの縁だと感じています。
鹿児島には3月中に引っ越しを完了する予定です。
みなさま、これからよろしくお願いいたします。

頴娃町にあるカフェ「潮や、」にて